La mémoire de mathématiques

数学めも by Müde

4 前件否定の誤謬

論理学を知らない人は、論破と言う

「論理学を知っている⇒論破と言わない」が仮に正しいとしましょう。この場合、この対偶も正しくなります。つまり、論破と言う⇒論理学を知らない。

さて、論理学を知らない人は、論破と言うのでしょうか。論理式で書けば「¬論理学を知っている⇒¬論破と言わない」となりますが、これは命題の裏であり、対偶の逆です。

3で、命題の結果と対偶の結果は一致すると書きました。そして、裏と逆は一致するか分からないとも書きました。つまり、「論理学を知っている⇒論破と言わない」が正しいからといって、「論理学を知らない⇒論破と言う」が正しいかどうかは決められないのです。

ひとつ簡単な例を出してみます。

私が「ケーキが好きだ」と言ったとします。

上の文を命題として見た時、この命題の裏は「ケーキ以外は好きではない」となります。でも、私としては、そんな事一言も言っていない、と反論できます。他にも寿司が好きかもしれないし、うどんが好きかもしれません。好きなものの一つにケーキを挙げただけです。これは、裏が真とは限らない例として分かりやすいですね。

また別の例。しつけの文脈において、母が「レディーは行儀よくしなければなりません」と言いました。それに対して娘が「私はレディーなんかじゃないから行儀悪く振舞うことができる」と反論しました。さて、この反論は妥当なのでしょうか。

一見妥当そうにも見えるのですが、論理学的に見ると娘の言うことは、母の言葉を命題にした時の裏になっているため、妥当とは言えなさそうです。このように、論理学的にいくら「裏は必ずしも真ならず」だと分かっていても、現実的な文脈では妥当に見えてしまうことはいくらでもあります。

注意したいのは、裏が必ず命題の結果と異なる、ではありません。異なる場合がある、なのです。ただし異なる場合は異ならない場合に比べて非常に多いと思います。

ですので、最初の論理学の例でも、命題とその命題の裏の結果が一致するとは限らないので、命題に対して、その裏を持ってきて、裏の正当性を主張するのは危ういと考えられます。

このように、「A⇒B」が正しい時、「¬A⇒¬B」も正しいとしてしまう論理学的なミスのことを、前件否定(の誤謬)と言います。


以下、Wikipedia前件否定」より引用。

前件否定(ぜんけんひてい、英: Denying the antecedent)は、誤謬の一種であり、次のような推論の論証形式に関する誤謬である。

もし P ならば、Q である。
P ではない。
従って、Q ではない。

この形式の主張は妥当ではない。この形式の論証はたとえ前提が真であっても、結論を導く推論過程に瑕疵がある。「前件否定」という名称は、「前件」すなわち論証の前提部分(もし – ならば)を否定する形式であることに由来している。