La mémoire de mathématiques

数学めも by Müde

8 妥当性

1から7までは私の考えていたことでしたが、私の考えには「妥当性」に関する視点が全くありませんでした。ここで、論理学における「妥当性」について触れたいと思います。

Wikipediaの「妥当性」をお手本にして考えたいと思います。まず、妥当性とは何か。

妥当性(英: Validity)は、演繹的論証が持つ論理的特性であるが、一般に任意の文に対して使われる(ここでいう文とは、真か偽かという真理値を持つものをいう)。ここでは、論証を文の集まりとし、そのうちの1つの文が結論で残りは前提であるとする。前提とは、結論が(おそらく)真であると示す根拠である。

妥当性を議論するにおいて、次の約束があるみたいです。

  • 「論証」とは「文の集まり」である
  • 文とは真か偽かという真理値を持つものをいう
  • 論証のうち1つの文が結論で、残りは前提である
  • 前提とは、結論が(おそらく)真であると示す根拠である

論証、つまり、文の集まりのうち、前提となる文をA1,A2,…,Anとし、結論をBとします。前提の集合をΓとすると、ΓからBが導ける時、その論証は妥当である、と言えそうですね。

数学的に書けば、Γ⊢Bとなると思います。論証の結論が真である場合、その意味は演繹的か帰納的か、別れることもありそうです。

論証の結論が「確かに」真であるとされている場合、その論証は演繹的である。結論が「おそらく」真であるとされている論証は帰納的であると言われる。ある論証が妥当であるとは、結論が正しく前提から導き出されることを意味する。すなわち、妥当な演繹的論証であれば、真の前提から偽の結論が導き出されることはあり得ない。(一方、前提に偽がある場合には、真・偽どちらの結論も導き出されうる。)

推論が「妥当であるか」どうかは、形式的に決まります。ですので、次の推論も妥当であると言えます。

ゴリラは消費税である。
消費税は富士山である。
よってゴリラは富士山である。

重要なことは、推論が妥当であるかは形式にのみによって決められる、ということです。ただし、妥当であっても、健全であるかはまた別問題です。健全性については、Wikipediaの「健全性」を確認するとよいでしょう。

ここまで書いて気づいたのですが、「推論が妥当である」ということと「命題が正しい」ということは(当たり前ですが)ぜんぜん違う概念なのですね。使っている言葉や記号は似ているのですが、大きな隔たりがそこにはあります。

命題論理においては、論理演算子「ならば(⇒)」が出てきて、ならばの前が前提、ならばの後が結論と言っています。命題論理においては、前提が偽である場合、基本的には結論が真か偽かは議論しません。その命題全体が真となるためです。これを反対から解釈すれば、命題が真であることと、結論が真であることは、関係がないことを示しています。

推論の妥当性という見方をすれば、確かに前提と結論という言葉はありますが、前提は文の集合であり、さらに偽を含んでいてもいいわけです。前提を色々組み合わせて結論を「導出できるか」が問題となります。従って、推論において、推論全体が真か偽かという話は出てこないのですね。「Γ⊢B」が真だとか偽だとかで評価するのではなく、妥当か妥当でないか、で判断します。そして、妥当の場合は結論が「導出できた」ということで、その結論は真となります。

ですので、前提と結論を結ぶ演算子も、命題においては⇒であり、推論においては⊢であり、別物なのですね。